日本競馬の歴史は古く、その歴史の数だけ、数々の名馬を生み出してきました。特に近年、アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」の人気から、日本の競走馬の人気はマスへも拡散。競馬場はますますの盛り上がりを見せています。
一方で、競走馬の中にはメディアであまり取り上げられていない馬の存在も。本記事では、日本競馬会で影響を残してきた競走馬について深掘りしていきます。
オルフェーヴル
ディープインパクト後にクラシック三冠を制覇した名馬といえば、オルフェーヴル。三冠馬として挑んだ有馬記念も制し、シンボリルドルフ、ナリタブライアンに次ぐ史上3頭目の四冠を達成しました。
また、オルフェーヴルは良くも悪くも、個性的なキャラクターでも人々を魅了してきました。2012年の凱旋門では、馬群から抜け出しトップに躍り出た矢先に、内側へ切れ込んでしまう。惜しくも2位でのゴールとなり、凱旋門賞の夢をつかみ損ねるも、一方では夢を見せてくれる存在でもありました。
彼の獲得賞金は約15億7621万円で、勝率の高さから多くの賭け金を支払わなけれならず、競馬用ブックメーカーとしてはネガティブにも捉えられることも。しかしこれは、日本競馬界においては確かな王者として圧倒した証拠でもあるでしょう。
ディープインパクト
競馬を経験したことがない人でも、その名を知っている人は多いでしょう。三冠制覇やJRA G1通算7勝など、驚異的な金字塔を記録したサンデーサイレンスを父に持つ、最強のサラブレットであるディープインパクト。
ディープインパクトは、2004年から2006年までの競走生活で、14回のG1レースに出走し、そのうち7回もの優勝を飾りました。特に2005年は、皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、無敗のクラシック三冠馬に。2位と2馬身半差をつけるほどの圧勝は、多くの競馬ファンの記憶に焼き付けられているでしょう。
また、彼の獲得賞金は約14億5455万にも上り、競走馬としては早い4歳での引退であったにも拘らず、その実績は日本の競馬史に名を刻んでいます。
アーモンドアイ
獲得賞金はなんと19億1526万。歴代賞金ランキングでトップを記録する名馬がアーモンドアイです。
彼女の魅力はその美しいフォームと、持ち前のスピードとスタミナを兼ね備えた走り。クリストフ・ルメール騎手との息の合ったコンビネーションも、名馬としての成功の要因として挙げられます。
G1タイトル数は、ディープインパクトをも超える9つ。2018年に桜花賞、オークス、秋華賞で三冠馬となり、その年のジャパンカップでは当時の史上最速レコードで2分20秒6を記録しました。
また、4歳初戦で挑戦したドバイターフでも完勝し、日本のみならず海外でもその名を轟かせた伝説馬となりました。
オグリキャップ
等身大銅像には今でも多くの人が訪れ、ファンに愛され続けるオグリキャップ。ラストラン、有馬記念での有終の美から30年以上が経つが、オグリキャップの軌跡は語り継がれています。
1985年に生まれたオグリキャップは、もともとは地方競馬の出身で、その後中央競馬に移籍。すると、天皇賞春、有馬記念、ジャパンカップなど、数多くのG1レースで優勝を果たしました。
オグリキャップの走りは独特で、後方からの差し脚を武器に、最後の直線で一気に他の馬を追い抜くシーンが観客たちを魅了。キャリア中には数々のトラブルや困難に見舞われましたが、最後の有馬記念での優勝によって、日本競馬史上の不滅の名馬としてファンの心に刻まれました。
サイレンススズカ
サイレンススズカは1990年代に活躍した日本の競走馬で、怪物とも呼べる圧倒的なスピードと、悲劇的な結末で競馬ファンの記憶に深く刻まれています。
圧巻だったのは1998年の金鯱賞。2着のミッドナイトベットに1秒8差をつけるぶっち切りの勝利は、彼のスタートからゴールまで他の競走馬を圧倒するスタイルを確立しました。
一方で、彼のスピードと同様に、悲劇の訪れも早かった。1998年の天皇賞春。サイレンススズカはこのレースでも圧巻の走りを見せていました。しかし、記録的なラップを残すと思われた最後の直線で突如として脚を折り、そのまま世を去ることに。
彼の死によって、競馬会では競走馬や騎手の安全を守るためのさまざまな取り組みが進められるようになりました。サイレンススズカは、その短い生涯で競馬界に多大な影響を与えた馬として、今も多くの人々に記憶されています。