宮本信子さんの旦那は映画監督の伊丹十三さんです。
1969年に結婚されましたが、伊丹十三さんは1997年に亡くなられています。
どうやって出会い、そして謎の死を遂げるまでどのような関係を築いていたのか‥
ということで、今回は宮本信子さんの旦那について&息子の情報を特集します。
宮本信子の旦那は伊丹十三
名前 | 伊丹十三 (いたみじゅうぞう) |
本名 | 池内義弘 |
生年月日 | 1933年5月15日 |
没 | 1997年12月20日 |
出身 | 京都府京都市 |
まずは簡単に伊丹十三さんについてお話しましょう。
伊丹十三さんは日本を代表する映画監督ですね。
父は同じく映画監督の伊丹万作さん。
高校を卒業後、映画編集の仕事をし、商業デザイナーを経てから俳優として活躍しました。
1960年に国際的映画人として名高い川喜多長政(かわきたながまさ)さん・川喜多かしこさんの娘、和子さんと結婚。
しかし、1965年には和子さんと離婚し、1969年に女優の宮本信子さんと再婚をしています。
1970年からテレビ制作などの活動をしたのち、映画監督となりました。
代表作は「お葬式」「マルサの女」「大病人」タンポポ」など。映画を知る人なら一度は聞いたことがあるタイトルだと思います。
しかし映画監督として脂が乗り、次回作にも意欲を見せていた伊丹十三さんに突然の悲劇が襲います。
1997年12月20日の出来事でした。
伊丹十三さんは伊丹プロダクションのあるマンション下で、高所から飛び降りた状態で亡くなりました。
亡くなり方に不自然な点が多々あることや、生前の伊丹十三さんをよく知る人たちの証言などから色々な憶測が飛び交い、20年以上経過しても警察の死因断定に否定的な意見が多い事件となっています。
[quads id=1]宮本信子と旦那の馴れ初め〜別れまでの流れ
ここでは伊丹十三さん旦那に持つ宮本信子さんについて、おふたりの人生にフォーカスを当ててご紹介したいと思います。
1965年、NHKドラマ「あしたの家族」で宮本信子さんと伊丹十三さんが共演したことがふたりの出会いでした。
伊丹十三さんはすでに当時売れっ子俳優。かたや宮本信子さんはまだ駆け出し女優だったそうです。
ひと言で表すと、夫の第一印象は「異質・異端児」でした。
オシャレで素敵で恰好良いのだけど、あぶない人。
宮本信子さんに惹かれた伊丹十三さんはアタックを繰り返します。
本能的に「あぶない人」だと感じていた宮本信子さんはのらりくらりと逃げていたそうですが…。
あまりお断りし続けても失礼だと思ってふたりでランチに行ったのです。
ついに根負けしてデートをすることに…。
そこからは毎日のようにデートを繰り返したようです。
ところが、当時伊丹十三さんは既婚者でした。
宮本信子さんにほれ込んでいた伊丹十三さんは、どうしても彼女と添い遂げたかったのでしょう。
1967年、ついに川喜多和子さんと離婚をします。
それから1969年に宮本信子さんと再婚しました。
実は結婚してからはしょっちゅうトイレに隠れて泣いていました。
だって、旦那の伊丹についていくことが大変だったから。
伊丹十三さんは美意識も高く、とことんこだわりのある人だったようです。
生活に関わるほとんどすべてのものについて自分が気に入らなければ絶対に使わなかったそうで…。食べるものも嫌となると箸すら付けてくれなかったとか。
「今夜は何を食べたい?」と聞いても「そんなこと聞くもんじゃない!」と言われ、「いつ帰ってくるの?」と聞いても「それも聞くな!」という感じだったと言います。
ここまでくるとこだわりというよりは…モラハラに近い領域なのでは…とすら思えてきますが…。
それでも宮本信子さんは旦那の伊丹十三さんにとことん尽くしたそうです。
この間、女優の仕事はセーブし、家事に専念。「お味噌汁の出汁は鰹節を削ることから始める」という徹底ぶり…頭が上がりません。
やがて長男の万作さんが、次いで次男の万平さんが誕生します。
最初は子供はいならいといっていた旦那が子煩悩に大変身しました。
伊丹十三さんに寄り添って、名実ともおしどり夫婦となった宮本信子さん、すごい方ですね。
宮本信子さんは子育てがひと段落した頃、女優として復活を遂げることになります。
信子は女優としての才能に恵まれている。
なのに彼女が演じられるような作品がない。
なら、俺が撮影しよう!
伊丹十三さんは宮本信子さんのために「お葬式」(1981年、映画監督デビュー作)を作ったというエピソードは業界でとても有名な話です。
そこから、伊丹十三さんの映画作品には全て宮本信子さんが出演しています。
公私ともにいつも一緒にいいられるのは本当に深い愛情と信頼関係があった証拠ですね。
…ところが1997年12月。
伊丹十三さんが謎の転落死を遂げてしまいます。
事件の詳細は割愛しますが、宮本信子さんにとって全く予想していなかった出来事でした。
伊丹十三が暴力団に襲われた事件も当時ショックであったし、何よりも伊丹が亡くなったというニュースは自分でも意外なほど衝撃を受けた。話す事も今までほとんどなかったが、伊丹十三の作品や存在は定期的に自分の中に浮上してくる。自分にとって伊丹十三とはどういう存在なのだろう。
— k-t (@kzxxxx1983) December 7, 2018
宮本信子さんはあまりのショックから3年以上立ち直ることができなかったそうです。
映画館に足を運ぶことも、映画そのものを観ることもできなくなってしまいました。
芸能活動も…無理でした。
しかし、シングルマザーとして生きていかなければならず、自分を奮い立たせたのだとか。
考えない!(辛い気持ちは)全て冷凍庫に入れて凍らせました。
前を向き、生きていくために…相当な覚悟をしたことだと思います。
伊丹監督が映画を撮り始めたきっかけや、開館から13年目を迎える「伊丹十三記念館」のこと、夫への変わらぬ思い、そして、歌う楽しさに目覚めたジャズについてなど、様々な話題が宮本の口から語られる。
引用:テレビドカッチ
※ここでご紹介した話の一部は2019年7月6日に放送された「サワコの朝」より宮本信子さんのインタビューを元に記載しています。
[quads id=2]宮本信子は再婚した?
旦那の伊丹十三さんが亡くなったあと、宮本信子さんは再婚をしたのでしょうか?
伊丹十三さんが亡くなって24年が経過した2021年現在まで、宮本信子さんはずっと独身を貫いています。
宮本信子さんは2004年「伊丹十三記念館」を設立し、2021年現在も館長をしています。
伊丹十三という人間を知ってもらいたい。
こんなに面白くて良い映画をつくれるおじさんが存在したのだよ、と証明したい。
本当に心から伊丹十三さんを大切にしてたことが伝わりますね。
亡くなったあともなお、夫婦の絆は深くなっているように感じます。
ちなみに、宮本信子さんさんの熱心な活動の成果もあり、伊丹作品「タンポポ」の4Kデジタルリマスター版が2016年秋に北米で上映されています。
「タンポポ」が上演されてから30年経過しているのにすごいですね!
『タンポポ』のアメリカでの上映について「伊丹十三という監督が居たことを再認識していただき、本作を通して他の作品も知っていただけたらうれしいです
引用:シネマトゥデイ
「タンポポ」では宮本信子さんは子供を連れた未亡人役として出演していました。
「タンポポ」鑑賞。観終わると必ずラーメンが食べたくなる呪いにかかる名作。登場人物ひとりひとりに重要な役割があり、たぶんひとりでも欠けたら物語が成立しない。それくらい完成度が高い。宮本信子さん演じるタンポポがめっちゃ可愛いです(*´ω`*) pic.twitter.com/Db9DABEvLc
— たま (@milkchaieiga) February 9, 2019
作品はコミカルに描かれていましたが、「旦那を失っても一生懸命生きること」という部分はまさに宮本信子さんそのものだと思います。
宮本信子の息子は2人とも俳優
宮本信子さんには2人息子さんがいます。
実は2人とも俳優の経験があるのですよ!
長男の池内万作
宮本信子さんの長男は池内万作さんです。
1972年3月27日生まれで、俳優デビューは1995年のドラマ「君を忘れない」でした。
同年ドラマ「金田一少年の事件簿」で明智警視としても出演し、2002年の「こちら本池上署」で一躍有名になりましたね。
写真を見ると「この人知ってる!」という方も多いのではないでしょうか。
現在も色々な映画やドラマに出演している、演技派の俳優さんです。
次男の池内万平
次男の池内万平さんは1984年伊丹十三さんの初監督作品「お葬式」で子役デビューをしています。
翌年の「タンポポ」にも息子役として出演しました。
そのまま順調に俳優業をするものだと思われていましたが、周りからのプレッシャーがきつすぎて挫折…。
現在は伊丹プロダクションの取締役として勤めているそうです。
表舞台に出るよりサポートをする方が向いていたのかもしれません。
宮本信子さんは2022年初夏に上映される映画「メタモルフォーゼの縁側」に芦田愛菜さんと出演することが決定しています。
76歳になっても透明感があって美しい宮本信子さんの演技を観られるのは楽しみですね!