三笠宮家の甯子さまがご結婚され近衞甯子さんとなり、皇室を離れてからもうすぐ60年です。そこで、近衞甯子さんの現在の状況について調査しました。また、美人だったと言われる皇族時代についても振り返ってみたいと思います。
近衞甯子は美人だった?
近衞甯子さんは三笠宮崇仁さまと三笠宮妃百合子さまの第一子です。お名前は「やすこ」と読みます。1944年4月26日産まれで、1966年に民間人となられました。
当時の写真を見ると、若い頃は聡明そうな美人だと思います。現在は三笠宮百合子さまのような凛とした女性になられているのではないでしょうか。
近衞甯子のご結婚後
民間人となられて60年。80歳となった近衞甯子さんが現在までどのように過ごされてきたのかまとめました。
近衞甯子の現在
近衞甯子さんは学習院大学在学中に結婚されています。ご結婚後に大学を卒業し、専業主婦となりました。
就職しているという情報はなく、ご結婚後は家事や育児をメインに生活していたと思われますが、常磐会(学習院の同窓会)の会長職を務められるなどの活躍もあります。
また、公益財団法人陽明文庫の理事として、平成30年に行われた陽明文庫設立80周年記念の集会で挨拶をされました。
70歳を超えてもお元気に活躍されていることがわかります。
近衞甯子の旦那について
近衞甯子さんの旦那である近衞忠煇さんは、日本赤十字社の名誉社長です。近衞忠煇さんについてまとめました。
近衞忠煇 プロフィール
近衞忠煇さんは1939年、旧越後熊本藩細川家に産まれ、出生名は細川護煇でした。兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)です。母方の実家である近衞家の当主が亡くなったため1965年に近衞家の養子となり、改名もしたようです。
学習院大学を卒業し、ロンドン大学への留学経験もあります。帰国後の1964年に日本赤十字社に就職し、各国の災害救助でリーダーシップを発揮するなど活躍されました。その功績により、2005年に社長、2019年に名誉社長となられています。
近衞忠煇 馴れ初め
近衞家は皇室とのつながりが深い家系です。近衞家の養子となったことで甯子さんと深く知り合い、結婚することになりました。出会いはお見合いのような形ではありますが、人柄などを良く知って、結婚を選んだようです。
細川家だった時から経歴や人柄が三笠宮崇仁さまや百合子さまからも認められていて、甯子さまと結婚するために近衞家の養子になったという説もあるようです。この説の真偽はわかりませんが、近衞忠煇さんは経歴も家柄も素晴らしいので、甯子さまのお相手にふさわしい方といえるでしょう。
近衞甯子の子供は?
近衞甯子さんには子供が3人いるそうです。
- 長男:忠大
- 次男:忠基
- 長女:邸子
長男の忠大さんは映像作家です。父・忠煇さんの転勤で海外に住んでいた期間があり、その語学力を活かして国際的なプロジェクトに数多く関わっているようです。起業した株式会社curioswitchのHPや雑誌などで顔出しをしています。他のお二人は一般の方で、詳しいことはわかりませんでした。
まとめ
近衞甯子さんの現在について調査しました。大学在学中に結婚し、民間人となってからは専業主婦となった近衞甯子さん。数年前にはイベントに登壇するなど活躍されていました。民間人のため詳しい状況はわかりませんが、80歳となった現在もお元気だと思われます。美人だったと言われていますが、確かに皇族だったころは美人でした。最近のお姿を見てもやはり凛として美しいです。