信子さまと娘さんたちの確執について調査しました。信子さまは、故・三笠宮寬仁さまの妻であり、彬子女王と瑶子女王の母でもあります。しかし、夫である三笠宮さまとは生前より夫婦仲が悪かったとされ、信子さまの娘である彬子さまと瑶子さまとは確執があることでも知られています。直近では、101歳でご薨去された百合子さまの葬儀に信子さまが姿を現さなかったことでも、娘さんとの確執が浮き彫りになりましたね。
何があって、信子さまと娘さんたちの間に確執が生まれてしまったのか調査しました。
信子さまと娘の確執は事実?
信子さまと娘の彬子さま、瑶子さまの間に確執があるのは、事実とみて間違いないようです。これまで多くの週刊誌やメディアが、信子さまと娘の確執について報じてきており、ご公務においても信子さまと娘さんたちが関わらないお姿が確認されています。
【参考サイト:Yahooニュース】
百合子さまの葬儀にて、喪主を孫の彬子さまがお務めになられたことからも、信子さまとの間に確執があることを物語っていますよね。
それでは、信子さまと娘さんたちの間に一体何があったのか見てみましょう。
信子さまは百合子さまの弔問に訪れるも門前払い
信子さまが百合子さまの葬儀に訪れなかったと報じられ、驚いた方もいらっしゃったことでしょう。しかし、信子さまは百合子さまの薨去後、三笠宮邸へ弔問に訪れています。しかし、百合子さまのご遺体に対面することはなく、門前払いされていたそうです。このことから信子さまは、一連の行事が終わったあとにお墓に訪れる可能性があるでしょう。
信子さまと娘の確執は三笠宮さまご健在の頃から
信子さまと娘の彬子さま、瑶子さまの間に確執があるのは、亡くなられた三笠宮さまがご健在だった頃からのようです。もともと、三笠宮さまと信子さまの夫婦仲に亀裂が生まれたのは、三笠宮さまのアルコール依存症や家庭内暴力が原因だったといわれています。1980年に三笠宮さまとご結婚された信子さまは、2004年に病気療養という理由で三笠宮邸を出られました。いわば、信子さまは「家出」をしたわけですが、父親を敬愛していた信子さまの娘さんたちから、絶縁宣言をされてしまったのです。
険悪な仲三笠宮さまがご薨去
三笠宮さまと信子さまの間に生まれた溝が深くなる一方、病に倒れた三笠宮さまは66歳という若さでご薨去されました。三笠宮さまの葬儀においても、長女である彬子さまが喪主をお務めになり、それ以降、信子さまは行事に参加されることはなかったそうです。翌年にはご公務に復帰された信子さまですが、娘さんたちとは確執が生まれ、言葉を交わすことは一切ありませんでした。
彬子さまは「絶縁母」と表現
三笠宮家の中で、NHKの取材に応じたり『徹子の部屋』に出演されたりと積極的にメディアにお姿を見せているのが、長女の彬子さまです。
彬子さまは、手記の中で信子さまのことを「絶縁母」と表現しているほか、ご自身がメディアに出られる際には「母の写真を一切使わないでほしい」とお願いしているそうですよ。
【参考サイト:女性自身】
信子さまと、2人の娘さんという対立が起こっていますが、最近ではその娘さん同士でもすれ違いが生じていることが噂されており、ご一家分断の危機に見舞われているそうです。
まとめ
信子さまと娘さんの確執について調査しました。信子さまと娘さんの間には長年の確執があり、それは故・三笠宮さまがご病気のためご薨去される前から存在していたものだといいます。最近では、百合子さまがご薨去された際に信子さまがお姿を見せられなかったことでも、ご一家が険悪なムードであることが浮き彫りになりました。今後、良い方向に進んでいくのか、三笠宮家の未来がどうなるのか、国民が注目しています。