疾風のごとく駆け抜けていく美しい馬たち。16世紀のイギリスで誕生し、明治時代に近代化の波と共に日本にもたらされた近代競馬は、現在も不動の人気を誇っています。ただひたすらに、前へ前へと走るサラブレッドたちの姿は、いつの時代も私たちの心をとらえて離しません。
最近ではわざわざ競馬場へ足を運ばなくても、インターネットに接続できる環境さえ整っていれば、自宅や旅行先から日本スポーツブックボーナスコードを使ってオンラインで競馬を楽しめるようになりました。キラ星のごとく日本競馬史に輝く名馬たちのドラマはたくさんありますが、ここでは多くの競馬ファンに今も語り継がれる伝説の名馬『オグリキャップ』の軌跡をたどってみたいと思います。
ハンデキャップにも負けずに
1985年3月のある深夜、後にオグリキャップと呼ばれることになる仔馬が誕生しました。しかし、この仔馬は右前脚が大きく外向しており、出生直後はなかなか自力で立ち上がることができなかったと言われています。これは競走馬としては大きなハンデキャップでしたが、無事に成長するよう願いを込めて『ハツラツ』と名付けられた仔馬はすくすくと育っていきます。ハツラツは、気性は大人しいながらも負けん気が強く、何よりも食欲旺盛で、矯正の甲斐もあって右前脚の外向も改善され、他馬と比べても見劣りしない馬体へと成長していきます。
中央競馬へ
1987年、ハツラツは『オグリキャップ』の名で地方の競馬場である笠松でデビューし、順調に勝ち星を重ね、12戦10勝をあげていきます。そして、この活躍を注目され、1988年には中央競馬へ移籍することとなります。しかしオグリキャップは、もともと中央で走らせる予定がなかったためにクラシック登録がなされておらず、皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3冠レースには出走することはできませんでした。それでもその勢いは止まらず、GIII京都4歳特別で勝利を飾ると、その後、GIIニュージーランドトロフィー4歳ステークスや、当時2000メートルのGII競走だった高松宮杯で勝利を重ねていきます。そしてその年の有馬記念で、ついに初のGIタイトルを獲得することとなります。
地方から出てきて苦労を重ねた末のシンデレラストーリーに国民も熱狂し、『第2次競馬ブーム』と呼ばれるムーブメントが巻き起こるほどでした。
伝説の引退レース
こうして人々の夢をのせて走り続けたオグリキャップでしたが、脚の故障が重なったこともあり、次第に優勝から遠ざかるようになります。そしてついに、1990年の有馬記念で引退することが発表されます。有馬記念の鞍上は、武豊騎手でした。しかしここでドラマが生まれます。極端なスローペースで各馬が折り合いに苦しむ中、中団から最後の直線入口で先頭に立ったオグリキャップは、後続の追撃を抑えきって劇的な勝利を挙げたのです。約18万人の観衆から地鳴りのように湧き上がる『オグリ』コールの中、伝説が生まれた瞬間でもありました。