上皇陛下が世間を騒がせた「銀ブラ事件」をご存知でしょうか?今ではにこやかで高貴な雰囲気を纏わせる上皇陛下が、高校時代に起こした「プチ逃避行」ともいえる出来事です。この記事では、銀ブラ事件の概要や関与人物、結末を徹底解説します。上皇陛下にも青春ややんちゃな時代があったのだと感じられる、歴史的で貴重な出来事です。
上皇陛下が起こした「銀ブラ事件」って何?
銀ブラ事件はさかのぼること1952年、上皇陛下が高校3年生のときに起こりました。周囲に何も知らせず学友とともに街に出て、ご自身の身分から”脱走”した大きな事件となりました。
自らの希望で、つかの間の自由を手に入れた上皇陛下。のちに、この銀ブラ事件が上皇陛下の人生観を変えたことは言うまでもないでしょう。では、どのような事件だったのか振り返ってみましょう。
どんな事件だった?
上皇陛下が学習院高等科3年だった頃、試験が終わり学友たちと銀座に遊びに行ったという出来事でした。周囲には「殿下に街をお見せして差し上げたい」と言い、学生寮のある目白付近を散策すると知らせていたそう。そして、3人の高校生は夜の銀座に繰り出したのです。殿下が消息を絶ったということで警察にも連絡が行き、非常警戒網が張られる事態になりました。
最終的に、洋菓子店で楽しい時間を過ごしていたとき、張っていた警察官に見つかり「やりましたね」と声をかけられたそうですよ。
【参考サイト:現代ビジネス】
関与した人物は誰?
銀ブラ事件に関与したのは、上皇陛下の学友だったジャーナリストで故人の橋本明さんと、千家崇彦さんです。そしてもう1人、殿下が思いを寄せていたのではないかとみられる女性・渡辺節子さんがいました。
男子高校生3人と女子高校生1人の奇妙な組み合わせで、夜の銀座を散策したり、洋菓子店でアップルパイと紅茶を頼んだり、電車に乗ったりと、青春ともいえる楽しい時間を過ごしたそうです。
「浅はかなのはどちらだったのか」
銀ブラ事件が起きたのは、殿下が電車に乗ってみたかったという思いから始まりました。学友のためならと力を貸した橋本明さんと千家崇彦さんは、帰宅後こっぴどく叱られたそうです。
「君たちの行動は情においては理解もできるが、知においては許し難く浅はかだ」
このような言葉で叱責されたそうですが、世間では「殿下だって電車くらい乗ってみたいのではないか」「自由で人間的な生活を与えてやったらどうか」という声も上がったそうですよ。殿下の自由を奪っていた皇族としての生活。知において浅はかなのはどちらだったのか、考えさせられる出来事となりました。
銀ブラ事件に関わった人物の現在は?
銀ブラ事件にかかわったのは橋本明さん、千家崇彦さん、そして橋本さんの女友達だった渡辺節子さん。
橋本明さんはフリージャーナリストをされていましたが、2017年に84歳で亡くなっています。
【参考サイト:AERA.com】
千家崇彦さんは大学卒業後、国策パルプに勤務されていました。2007年に73歳で亡くなっています。上皇陛下が思いを寄せていたとされる渡辺節子さんについては、一般人のようで詳細が明かされていませんでした。
まとめ
上皇陛下が起こした銀ブラ事件は、当時の日本を大きく騒がせる事件となりました。常に温厚で我を出さなかった上皇陛下が、独断で自由を掴み取りに行った「最初で最後の大冒険」といわれ、現在まで語り継がれています。そんな人生の大冒険を共にした青春時代の学友2人は亡くなってしまい、上皇陛下は現在、美智子さまとともに穏やかな生活を送られています。にこやかで気品あふれる上皇陛下にも、やんちゃな時代があったのだと思うと微笑ましいですね。今後ますます健康に過ごされることを祈りましょう。